好奇心を全方位に張り巡らせて、世界と自分とを繋ぎ渡せ。

コロナによる営業自粛は
小規模企業や個人飲食店を次々と閉店させていく。

(以下ヤフー記事)

横浜で47年庶民の味、無念の閉店…コロナ直撃「気力奪われた」

6/1(月) 読売新聞オンライン

新型コロナウイルスの感染拡大で、
全国各地の飲食店が閉店に追い込まれている。
東京から神奈川にまたがる京浜工業地帯の一角では、
労働者や家族連れらに親しまれてきた大衆食堂が4月30日、
47年余りの歴史に幕を閉じた。
「50年まで頑張りたい」
未知のウイルスは、そう願った店主から
客も気力も奪い取った。

横浜市鶴見区の「中華 洋食 グリル来来」
既に入り口の看板は撤去された。
分解されたテーブルや椅子が
片隅に寄せられた店内は薄暗く、もの寂しい。

「気力が落ちたら、急に体が動かなくなってしまった」
店主(79)はそう打ち明ける。

4月初旬の夜だった。
客が入らず、「きょうもダメか」と思っていた矢先、
男性客が飛び込んできた。
「オムライス一つ」
注文を受け、いつものように作り始めたが、
フライパンを持つ手がなぜか重い。
火加減や手さばきに、わずかな狂いが生じた。
それは翌日以降も変わらず、
むしろ、日増しにひどくなった。

子供2人は別の道を歩み、後継ぎはいない。
「もう、閉めようと思う」
二人三脚で店を切り盛りしてきた妻(78)にそう告げると、
「お疲れさま」とねぎらわれた。

1940年に群馬県で農家の6人きょうだいの末っ子として生まれた。
18歳で上京。都内の高級フランス料理店で修業した後、
72年10月に現在の場所に店を開いた。
「ご飯がたくさん食べられるよう、味付けは濃いめに」
がモットーだった。

周辺が工場から住宅街に変わり、
客層が家族連れ中心となっても、
変わらぬ味を提供し続けた。
オムライス(税込み800円)や
しょうが焼きライス(同)は看板メニューとなり、
テレビでも紹介された。

「これ食べてみな。うまいだろ?」
注文に迷う常連客には、
時にフランス料理店仕込みの裏メニュー、
鶏胸肉のムニエル風や鮭(さけ)のフライを振る舞った。
気さくな人柄も手伝い、22席の狭い店内は、
昼も夜も客足と笑いが絶えなかった。

年を重ね、いずれやめる日が来ると思いつつ、
体はどこも悪くない。
コロナ禍でも、「負けるもんか」と、
午前10時半から午後8時半までの通常営業を続けた。

3月以降、外出自粛で売り上げは減ったが、
仕入れや家賃などの経費は昼の営業分で賄えた。
こたえたのは、夜の客足がパタリと止まったことだ。
客と会話しながら料理の反応を楽しむ大切な時間が失われた
それが、体に異変が生じた原因だった。

開店以来、午前3時半に起き、
6時間ほどスープを仕込むのを日課としていた。
今も同じ時間に目が覚めては、
「あ、もう仕事はないんだ」と気付く。

店は5月31日に引き払った。
建物は今後、取り壊される。
思い出の詰まった食器類に使い道はないが、
今も処分できずにいる。

■「最後の一口」

店主が5月14日、閉店後初めて調理場に立ち、
オムライスを作ってくれた。
バターでいためたひき肉とタマネギ、
ピーマンの入った熱々のケチャップライスが、
ふわとろの卵で包まれている。

頬張る私を笑いながら見ていた店主が、
食べ終わる頃、ふと目を落とし、つぶやいた。
「数えきれないくらい作ってきたけど、これが本当に最後か……」

「自分でいいのだろうか」と感じつつ、
私は「最後の一口」をかみしめた。

■江戸から明治から 老舗も幕…苦境の飲食業

コロナ禍による閉店は、名店として知られた老舗にも及ぶ。

明治元年(1868年)創業で歌舞伎俳優御用達の弁当店
「木挽町辨松(こびきちょうべんまつ)」(東京)や
江戸時代中期の1713年創業と伝わる老舗菓子店
「川口あんぱん」(青森)
明治18年(1885年)創業の老舗漬物店
「丸八やたら漬」(山形)なども
4月~5月に相次いで閉店を決めた。

川口あんぱんの社長(77)は
「長く続いた店を閉めるのは残念だが、
原材料の高騰消費増税に、
コロナが追い打ちをかけた」と話す。

東京商工リサーチによると、
4月に全国で倒産した飲食業は、
前年同月比29%増の80件で、
4月としては過去30年間で最多だった。
負債規模は1億円未満が90%近くを占め、
小規模の企業や商店が目立つ。
この中には借金なしで廃業する事業者は含まれていない。
同社は、少なくとも1000以上の個人商店や飲食店、
零細企業に広がっているとみており、
「高齢化や後継者の不在でやめ時を探っていたところに、
感染拡大が『最後の一押し』となったケースも多い」
と分析している。

藤井亮

(ここまで)

青森県で3店舗のカフェを運営していた
『カフェ202』も閉店した。
ここもオムライスがウリでした。

旅スペース |

こちらのnoteに
経営者の福井寿和さんの告白が書かれています。

全店舗閉店して会社を清算することに決めました|福井寿和
\\ 出版が決まりました // 私が起業したきっかけ、カフェの開業、事業拡大、そして全店舗閉店して会社を精算するまでの全て書いた本の出版が決定しました! 2020年11月2日発売 『全店舗閉店して会社を清算することにしました コロナで全店舗...

彼は1987年3月生まれ。
新潟大学の経済学部卒なのに、
なぜかシステムエンジニアとして
日本NCR株式会社という会社に入社。
何かを思ったのか故郷の青森に帰省し、
市議会議員に立候補するが落選。
生まれ育った青森のために何かしたいと考え、
地域活性化には女性を活用するのがいいと
『カフェ202』を2015年4月に開業する。
親から借金のたった200万円で起業。
それが5年で3店舗まで拡大させられたのは
経営能力がかなり高い事業家だと言える。
(他にハンバーグ1店舗、肉系1店舗を経営。計5店舗)

そんな人の全店舗閉鎖・会社清算という決断が
本当に正しかったのか否かは分かりません。

狂牛病が発生した時
私はちょうどスーパーの精肉部門で働いていた。
(時給制のパートとして)
豚肉や鶏肉は売れていたが、
全体の売上げが減ったので早上がり。
結局辞めたが。

※狂牛病は牛骨粉の共食いが原因。
ヒトも共食いすると脳がスカスカになるので
人肉食いはNG行為。例外事件もあるが。
(なぜ共食いがいけないのかな~?)

吉野家は豚丼や他メニューでしのいだが、
今回のコロナは飲食業だけでなく
人と人とが密集する店舗事業にことごとく影響を与えた。

私は外食業は無くならないし、
逆に外食する人は増えると予想している。
なぜなら人間の舌はどんどん肥えてくるから。

※ダイエットに失敗する男女が後を絶たないのは
世にうまいもんが多いから(笑)

テイクアウトの冷めた料理よりも
アツアツの料理を誰しもが食べたい。

それに独りで食べたり
家族だけで食べたりするのはつまらない。
時にはみんなでワイワイしながら食べたい。

飽食現代では
食べることは生きるための必須条件ではなく、
人生時間の空虚を埋めるための楽しみとなっている。
つまり飲食=娯楽です。

そんな世界でこれから何が起きてくるかというと
未知だったコロナという感染病の理解が増してくる。

・コロナは無くならない、無くせない
・コロナは致死率の低い感染病
・コロナは健常者にとっては単なる風邪扱い

健康志向による健康食ブームと食べすぎ制限。
コロナに負けない予防策としての運動。

病気になる大きな原因の1つにストレスがある。
このストレス軽減のために
上2点に加えて人はお金を使うようになる。

飲食業者はこうした人が抱えるストレスを
いかに軽減できる店舗サービスができるかが
今後生き残りの条件だと思う。

上記のグリル来来の店主も
お客との会話を大事にしてきた。(下線部分)
店主と何気ない会話であっても
つながりを感じる癒しによって
日頃のストレスが和らいでいく。

レストランの語源は「回復させる」から来ているそうです。
空腹の回復だけではなく
心の空虚感の回復に取り組めば、
必ずやコロナに負けない店になることでしょう。

グリル来来では店主と奥さんの2人で切り盛りしていた。
ラーメン・チャーハン・カレー・オムライス・ハンバーグなど
とてもメニューが多くて、
せめて3品までに絞っていれば
仕込み準備が少ないし
廃棄ロスを減らせたし
お客との会話ができるゆとりも持てたのだが…。
すでに閉店してしまった後、遅かった。
とても残念です。

若い福井さんが今後どう生きていくのか?
それは彼が決めればいいですが、
私は彼は再度会社経営に挑戦すると思う。

「青森という地方を活性化したい」

彼の事業意欲の原動力はここにある(はず)。

残念ですが地方活性化は難しい。
なぜなら日本自体が斜陽方向に走っているので
青森をどうにかする前に
日本全体をとらえて戦略を取る必要があります。

経済というのはお金の巡りのことで
お金の循環がいいことを好景気と言う。

経済を好景気にするためには
お金を使うという消費を起こさせること。

消費量を増やす方法は2つ。

1、消費人口を増やす
2、消費パワーを増やす

1は出生率を上げるか海外からの移民を受け入れるか。
前者は個人の力ではどうにもならない。
後者なら人材派遣業ができる。

2は災害需要しかない。
消費増税はパワーを奪った失策。
コロナ禍でも減税案が出てこないのを見ると
国の財政は末期なのでしょう。

このコロナの最中、飲食店経営をがんばっている個人がいる。
でも福井さんは全てを清算するという道を選んだ。
ということからあなたは飲食経営に
並みの情熱しか持っていなかったのが分かる。

「次の起業は飲食関係を選んではいけない!」

もし何も決まっていないならば
人材派遣業はどうでしょうか?

海外(東南アジアがいい)から日本へ
労働力(頭脳労働者と肉体労働者)を送り込む。

食糧高騰は近未来の現実。
今からでも対策を取らないと
資源戦争が起こるのは歴史を学べば理解してくれる。

それと同時に海外で起業したい日本人を増やし、
彼らを手助けするようなコンサル事業もいい。

労働力の双方向性を俯瞰し考えること

先に経済はお金の巡りのことだと言ったが、
それは人の巡りでもある。
なぜならお金を所有しているのは人だから。

そう考えるなら海外人材派遣(人間移動)業は
まだまだこれから必要とされるビジネスです。

足がかりが欲しいなら
リネットジャパンに就職希望もいいかもしれません。

集中戦略は、頭を冷やして考える。
カンボジアで3つの事業を 行なっている日本の上場企業がある。 リネットジャパングループだ。 この会社の日本での事業は 「ネットオフ」というサイトにて 中古の本やDVD、ゲームなどを ネット販売していたり、 小型家電のリサイクルをしている。 ...

私はコロナによる都市閉鎖の出来事は
それでも外へ出たいという外向性を
個々人に意識させるきっかけになったと考えている。

閉じてしまう精神性は没交渉へと向かうが、
人とのつながりを絶っては生きていけない人間社会では
積極的に関わろうとする好奇心が
社会を健全な方向へと押し戻す。

好奇心を巡らすことが回復の原点なのだ。

コメント

error: Content is protected !!