小さな個々の関係性の躍動が、1つの大きな連帯集団を育む。

アメリカのソース王
吉田潤喜さんの本が
メルカリで出品されていて、
このデザインは見たことがないと
アマゾンで売られているか探したが見つからず、
何でメルカリで売られているか知りたいこともあり
ラッキー価格の300円で購入した。


(若い頃の著者や奥さんの写真あり)

「この本をどこで購入したのですか?」
と出品者にコメントしたら、
モラタメというサイトで
ヨシダソースを買ったら付属していたと。
つまり本はおまけ品。
(現在は販売終了してます)

ソースを売るより本を売ることの方が難しい。
出版業界も大変ですね。

商品のお試しサイト。
メーカー側はマーケティングの一環として
新商品や試作品について
消費者の正直な意見を聞きたい。
実際に利用してみて本音の感想を聞きたい。

似たサイトには、サンプル百貨店というのがある。

私の招待コード
lSpBrIpi(すべてアルファベット)

サンプル百貨店|話題の商品を税込・送料込でお試し!
日本最大級のサンプリングサイト。食品、飲料、日用品、化粧品、ファッション、雑貨などがお得な費用でお試しできます

世の中には商品があり過ぎて、
自社の商品が市場に埋没して分かりにくい状態。

認知作業のための広告費は莫大で大変です。

失敗損失を避けるために
サンプル品を少量作り、
消費者の意見から好感触をつかめた商品だけを
本格生産していく。

生産過剰などで廃棄するハメになると
生産コストと廃棄コストのダブルで痛い。

消費期限が近い商品を格安で販売する
こんなサイトがある。

ただいまメンテナンス中です

調べたらオークファンやNETSEAを運営する
上場企業のSynaBizでした。

取り扱い商品数は2000弱でしたので
市場ニーズの見込み数量を間違える企業は多い。

というよりも
何がどれだけ売れるかを分かる人間は皆無。
それが分かるのは神様だけ。
松下幸之助さんもそう言っているようです。

では新商品や新サービスを世に出したい場合は
まず何をどうするか?

少し作ったり、数人に試してもらったりと
小さくテストすることです。

8兆円の資産を持つ
自力で大富豪になったアメリカ人の
マイケル・マスターソンも言っている。
「初めから全財産投げ打ってビジネスするな」と。

あなたはヨシダソースのことを知らないと思う。
日本ではドンキで売られているらしいが、
スーパーでは見たことがないはずだから。

ヨシダソース誕生物語を詳しく知りたいなら
上記の本かこちらの本を読んでください。

在日韓国人2世の吉田潤喜さんが
どうして渡米したのか?
どうやってアメリカの市民権を得たのか?
なぜソースだったのか?
それが分かります。

ここでは上の疑問や面白い部分を簡潔に紹介したい。

吉田さんは幼少期に片目を失い
それが元でいじめの対象となった。
その対策のために空手を習い、
強さをアピールするために
京都のごんたくれ(ワル)と呼ばれるほど
喧嘩を繰り返した。
その根底には絶えず強さに憧れる自分がいた。

1962年のキューバ危機。
ケネディ大統領がソ連がキューバに
核ミサイル基地を建設していると発表。
ソ連艦がキューバに入るのを海上封鎖し
断固としてソ連を阻止するアメリカ。

東京五輪でのアメリカ人メダリストたちの
国歌と共に胸を手にやる堂々とした姿勢。

大学進学に失敗し、
このままだったらヤクザか奴隷労働者になるしかない。

それくらいならいっそのこと
世界一強い国アメリカを目指すか…

「アメリカへ行って一発勝負したる!」

渡米後すぐに帰りの航空券を売り払い
中古車を購入。
公衆便所の裏に車を留め
そこを自宅にして7~8か月。
日本人の知り合いもでき
皿洗いのバイトや草刈りの仕事をして
安アパートに引っ越しした。

ビザがなければ日本へ強制送還。
どうしたのだろうか?

ある時レストランで働いていると
不法就労者を取り締まる移民局の者に
逃げ道をふさがれ捕まってしまった。

「こりゃもうダメだ」と観念したところ、
何と移民局の審査官である女性が
「その人は私の知り合いよ」と助けてくれた。

吉田さんは永住権ほしさに
月に2、3回と移民局へ行って請願していた。
その度に彼女は「無理よ」と拒絶。
それは仕方ない。
学生でもない、正職もない、英語もできず、
結婚もしていないでは
通るはずもないのだから。

アメリカでの恩人である彼女を結婚式に招待した時、
なぜ見知らぬ東洋人の私を助けたのかを聞いたら
「私が出会った東洋人の中で
あなたが一番英語が下手なのに、
あんなにしつこく通いつめ、
何だかかわいそうだと思ったから」
と言う。

その取り締まりをきっかけに
英語学校へ通うことにした。
が授業には全く出ずに
体育の授業で空手があることを知り、
その腕を見込まれ空手の先生となる。

そんな学生生活とハウスキーパーの仕事。

その時出会ったのが生涯の伴侶となるリンダさん。
大学1年で18歳の彼女を一目で気に入った吉田さんは
出会って2週間後にプロポーズ。

「私はまだ18歳よ。
結婚なんてまだ決められないわ」

普通に言ったのでは確実に断られる。
だから現在の日本でも行われている
バカなる儀式「根性焼き」で迫った。

「いったい何しようとするの?」

手の甲を示し、火のついたタバコを押し付け、
ジューっとグリグリして煙から熱さが伝わる。

「ジュンキ、やめて! 火傷したらどうするの!」
「俺と結婚すると言え。でないと止めないぞ」
「分かったわ! YESよYES。だからもう止めて!」

根性焼きで結婚を迫る男と
それに応じた女。

アメリカ建国以来
そんなバカップルはいなかったし
これからもいないであろう。

願わくはいくらかの日本男児は
根性焼きで女性にプロポーズするものだという偏見が
アメリカに広まらないことを祈る。

リンダの父はアイルランドからの移民。
ユナイテッド航空に勤める真面目なサラリーマン。

我が愛しの一人娘が
ヘンな片目の東洋人と結婚するなんて
断固反対の立場。

が、リンダとその母の協力もあってか結婚式にこぎつけた。
どうやって説得したのかは女の作戦。
結婚にかける娘の意志が
母の助力を誘発したのであろう。

西洋の結婚式では
花嫁とその父が腕を組んでバージンロードを歩く。

未婚女性なら誰もがときめく
あのウェディングマーチが鳴り響くと、
祭壇の前に立つ新郎の元へ
ドアが開きリンダと義父が歩いてくるはずだった。
が、なかなかドアは開かない。
なんで?

この期に及んでもまだ
義父は娘の結婚を阻止しようとしていた!

「ほんとにあんな奴と結婚するのか?
まだ遅くない。逃げるなら今だ。
ドアが開いたらもう逃げられないぞ!」

「イヤよ。私が決めたこと。
私はパパの言いなりの女じゃないわ。
意志を持った1人の人間よ」

「俺は飛行機が落ちるのを何度も知っている。
片目のあいつに乗ったらお前は墜落するぞ。
最短最速で人生を渡ろうとするな。
ゆっくりでいい。確実に女の幸せを目指せ」

「私、あの人といっしょになるのが幸せよ。
パパはあの人のことを何も分かっていないわ」

「よし、お前の決意は分かった。ではこうしよう。
ここで逃げたらお前の好きなフェアレディZを買ってやろう。
どうだ、欲しがってただろ?」

「いらないわ。
フェアレディZ(かわいい淑女の到達点)なんて。
ZなんてSに置き換わった役立たずのアルファベットよ。
私は役立たずじゃない。
ジュンキは私を必要としているの」

そしてついにドアが開く。

かつてもこれからもしなかったであろう
最大最高額の説得、警告、賄賂も効を奏しないまま
肩を落としうつむき加減で歩く義父とは対照的に、
リンダは満面の笑みだった。

根性が座っていたのは
誰よりもリンダの方であった。

なぜリンダがジュンキとの結婚を選んだのか?

私の思考が彼女を捉える。

そんなこと言ったって
18歳になるまでに
誰も私に告白しようとした男はいなかった。
ジュンキだけよ。
もし彼のプロポーズを断ったら
次いつ結婚相手に巡り合えるか分からない。
一生独身なんてそんなイヤ!
誰からも相手にされなかった独身女なんて…

リンダの本心は彼女しか分からない。
これは私の妄想だと思ってもらいたい。

話しをソース誕生に戻す。

吉田さん自身が経営する道場と
大学での授業で空手を教えていたが、
空手仲間の友人の死がきっかけで
ワシントン州シアトルからオレゴンに引っ越しした。

そこで何と警察学校でも空手を教えることになり、
ヨシダメソッドなる逮捕術は
警察官になるための必須の科目となる。
(刑務所の看守やSWATにも採用される)

ブルース・リーブームもあって
空手ビジネスは順調だったが、
1980年代に襲った不況で生徒は1/3になり
経営は資金難に陥った。

アメリカでのクリスマスは一大イベント。
生徒たちへのクリスマスギフトのためのお金を
どうしようか悩んでいた。

実家が焼肉屋だったことを思い出し、
そのタレの製法を日本にいる母から教えてもらい、
自作して生徒たちに渡したところ予想外の好評。
お金を払うから売ってくれとまで言われる。
そこからヨシダソース伝説が始まる。

ヨシダソース公式サイト|世界で愛されるヨシダソース
ヨシダフーズインターナショナルジャパン株式会社は「ヨシダソース」の日本正規輸入販売代理店を務めております。当サイトではヨシダソースの原料へのこだわりとソースラインアップ、レシピと、吉田潤喜のプロフィールをご紹介しています。吉田潤樹への出演依頼、講演依頼なども当サイトからお願いいたします。

空手ビジネスから離れ
ソースビジネスに移っても
空手とのご縁に幾度か救われる。

上記の本の表紙を見ると
「コストコが私の人生を変えた」とあるが、
空手が彼の人生を救ったと言う方がふさわしい。

『芸は身を助く』

自分の人生の点と点とが線になる。
何がどう作用するのかは分からないものですね。

全く無名のソースを
大手スーパーが取り扱ってくれるわけがない。
当時2店舗しかなかったコストコの成長に賭けて
店内で実演販売。
1本でも多く売ってやろうとするヨシダに
コストコ創業者ジェイムズ・シネガルも心を打たれた。

キッコーマンや他のソースメーカーも
コストコの商品棚に置かせてほしい。
熾烈な陣地取り。

それでもヨシダソースを今でも陳列棚に置くのは
彼のパッションの行きつく先を見てみたいから。

私はアメリカでのヨシダソースのシェアや
認知度を知りません。

ネットで調べたら
アメリカではA1ソースが人気らしい。
しかもなぜか沖縄県でも人気。
ステーキ用のようです。

ヨシダソースが日本市場に参入してきたのは
もちろん売上増のための市場拡大でしょう。

私がヨシダソースを日本市場に広めるなら、
まず日本国内に何十社もある
ソースメーカーの1社と手を組み、
現在アメリカでのみの生産を
日本国内でも生産できるようにする。

レシピを渡せば製造してくれる工場はある。

会員一覧/日本ソース工業会について:一般社団法人 日本ソース工業会

A1ソースのBrand社は沖縄で製造委託していて
輸入コストを下げている。
もしくはライセンスフィーをもらうだけで
「あとは自由にどうぞ」とラクしてそうです。

ヨシダソースのアメリカ工場で製造されたソースは
アメリカ国内で何とか消費させる。
できなければ生産数量を減らすしかない。

私はアメリカでのヨシダソースの事情を知らないので
あまり偉そうなことは言えませんが、
広いアメリカでシェアナンバー1は難しい。

でもせめて知名度においては
アメリカ人の誰もが知っている状態に
浸透させるべきではないかと。

コストコは小売業界での世界ナンバー2。
誰もに知られているコストコの力を借りて
ヨシダソースの普及を推し進める。
それだけでは販売数量が足りないから
自ら日本市場に参入したのかもしれませんが。

コストコが日本市場に参入したのは1999年。
福岡の郊外にあるトリアスというショッピングモール内にて。

トリアス

日本の首都、東京でスタートしなかったのは
広い場所の確保が困難だったことと、
あったとしても地代が高過ぎて
大量仕入れ・大量販売の安売りコストコが
利益を出すのは難しかったからでしょう。

失敗した場合のことを考えて
まずは小さく、地方都市から始めようとした。

私はコストコの倉庫兼店舗という
合理的小売スタイルに賛成だが、
日本では大量販売の安売りは儲からなくなっている。
その大きな例としてダイエー

首都東京の中心エリアへ行ったら分かるが、
スーパーマーケットが無い。
コンビニしかない。
郊外にあるスーパーも少しずつ消えていくと思う。

代わりにアマゾンや楽天などのネットモールが
支配するようになる。
スマホで簡単に注文できて
自宅まで届けてくれるのですから便利。

現にヨシダソースもアマゾンで売られている。

「私がコストコジャパンの経営者ならどうするか?」

ネットショップサイトでは
アマゾンや楽天に勝てない。

力を入れるべきところは
実店舗数の拡大とその集客です。

場所はテーマパークのエリア内かその周辺。

例えば長崎県佐世保にあるハウステンボス。
広さは東京ドームの30倍。
あまりにも広いので空きスペースを持て余している。

佐世保市の人口は24万人。
長崎空港から車で1時間。
決して商圏がいいとは言えない。

ですがハウステンボスの将来性は
他のテーマパークより格段の上にある。
ディズニーランドよりも。

なぜならその経営会社は
旅行業界のトップであるHISで、
創業者の澤田秀雄会長はハウステンボスを
「観光ビジネス都市」にすると豪語しているから。

HTB|ハウステンボスリゾート
日本一広いテーマパークで安心安全にリフレッシュしよう。花、光、音楽など、1日では遊び尽くせない楽しみが待っているハウステンボスの公式ウェブサイトです。

それが今コロナでガクンとなっている。

「ハウステンボス内に倉庫店を構えるチャンス!」

現在九州エリアのコストコ店舗は福岡県しかない。
(2020年10月時点)

長崎県や佐賀県の商圏を
ハウステンボスの倉庫店が取る。

そんな案はどうでしょうか?

話しが大きく飛んだ。

ビジネスというのはお金も時間もかかる。
不確定要素があるので
確実にうまくいくなんてことは絶対に無い。

だから失敗した時のことを考慮して
莫大な損失を被ることのないように
まずは小さく始めてみる。

うまくいったなと確信が持てたら
少しずつお金を投じて大きくしていく。

もし少額資金の個人がビジネスを開始するなら
すでに儲かっている商品やサービスを研究し、
そこに付加価値を付けたビジネスをやります。
これだと失敗確率を減らせるからです。

とにかく最初は小さく始めることです。
テストしながら、感触を確認しながらビジネスする。

コストコの始まりは
1976年のプライスクラブという倉庫店からでした。
その倉庫店は飛行機の格納庫を改造したもので
決して見栄えのいいお店ではなかったでしょう。

ヨシダソースの始まりも
空手道場の地下で細々と
1つ1つ手作り製造からでした。

初期投資2000億円以上をかけて
作り上げたハウステンボスには
成功の元型・ルーツがあった。

長崎と歴史的ゆかりのあるオランダを模した
長崎オランダ村というテーマパーク。
1983年開園からバブル景気での安易な融資による
拡張工事が行われ、2001年閉園まで続いた。

この2つのテーマパークの創設者である
神近義邦さんは長崎県出身の人。

おそらく故郷が過疎化して寂びれていくのを
何とか止められないかという切なる思いで、
全生涯をかけて取り組んだライフワークだろう。

ヨシダソースの吉田さんは
オリンピックでどこの国を応援するかと問われたら
日本だと言う。

彼の両親は韓国からの移民であり
日本に付属し居を構えた。
その両親の元に7人目の末っ子として属し、
在日韓国人2世が今度はアメリカに付属した。

小さき者が転居しながら
一人やがて一人と付属を繰り返し、
少しずつ大きな家族・血族を形成していく。

会社も家族もいっしょ。

吉田潤喜さんの思い描くその先にはきっと

世界の食卓に
料理のレシピに
夫婦円満・家族団欒のために

ヨシダソースを1本買うて~

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